このたびの、東日本大震災で、被災された皆さまに心よりお見舞い申し上げますと共に、
魂がこの地を離れた皆さま、そのご家族に心よりお悔やみ申し上げます。
未だ、荒涼たる被災地で、原発の現場で、プロとして働き続ける方、
被災した皆さまを支え続けて下さる全ての方に、感謝と祈りを捧げます。
3月11日、大きな地震に、娘と二人抱きあいながら過ごしました。
数日前から、家人は岩手に出張中でした。
海での調査の仕事でした。
地震後すぐにテレビをつけて見た映像は、想像をはるかに超えるものでした。
すぐに電話しましたが、当然つながらず。
あまりの映像に呆然とするしかありませんでした。
何度もメールを入れ、非常時の伝言ダイアルもしましたが、結局連絡はつかず。その後、会社に連絡してみると運よく2回でつながり、無事が確認されました。
家人は、当日はホテルでの作業だったらしく、地震後すぐに会社にメールを入れたとのこと。
地震後すぐはメールが使えたらしいです。
家にまでは連絡ができなかったと。
海での調査チームも全員無事だったと聞いて安堵しました。
その1週間後に、陸路で12時間かけて家人は帰宅しました。
友人、知人の皆さまには、やさしく声をかけて頂き、本当に有り難かったです。
この場を借りて御礼申し上げます。
有難うございました。
その間、娘との生活は、彼女にどう不安を感じさせず、
いつも通りに快適に暮らせるかということを優先しました。
二人だと情報も取りすぎず、
ごはんをつくって食べて、遊んで、おしめを替えて、寝て、ごはんをつくって食べて。
と、目の前の小さい人に対しての責任を全うすることに力を注げたのが私にも幸いでした。
しかし、原発の問題があらわになり、外に出ることが出来ず、
今までの、光をあび、深呼吸し、走り、泥にまみれ、ということが出来なくなってしまい、
私が今まで享受してきた普通のことがどれだけのことかと痛感致しました。
自分自身の無知と無関心にも反省致しました。
自分の想いに沿って生きていればよいと、声高に叫ぶことではないと思ってきましたが、
この大きな地震、事故によって、新しい世界になった今、
私達大人が、子ども達に渡す未来を決める、今、
気付かなければと思いました。
小さい人達が、私達と同じように、健康に育つ権利があり、
安全なごはんを食べ、深呼吸をし、地を走り、海に入り、川で遊び、色々なことを憶え、
学校に行き、友達が出来て、悩み、笑い、泣き、大きくなる。
その普通に生活する未来へのバトンを渡したいだけなのです。
選ぶこと。を選ぶ。
これからのことを選んでいきます。
食べ物、エネルギー、生活の仕方、支援、選べるものはこれからちゃんと考えて選ぶ。
出来ることを、近くを見て、遠くを見て、考えて。
まずは近くの出来ることを出来ることから。
母として、大人として、社会人として、料理をつくるものとして、
本を届けるものとして、誠実に働いていこうと思います。
少しの間、ブログを書けずにいましたが、
また、これから生活の中のことを書いていけたらと思います。
書いていない間も、かわらず見に来て下さった皆様有難うございます。
元気に暮らしております。
今年の東京の桜も見事でしたね。